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大阪西区おもしろ情報 歴史に消えた町 松島遊郭とは?

近代大阪の発展と共に築かれ、そして消えていった文化”松島新地”

大阪市西区 松島新地

”遊廓”は治安や風紀を統制するため、公許の遊女屋を集めて、周囲を堀などで囲った区画で、成立は安土桃山時代に遡るらしい。江戸時代に波及した遊廓は、代表的な娯楽の場であり、文化の発信地でもあった。
裕福な町人や、武家・公家を客とした、上級の遊女は、芸事にも秀で、文学などの教養が必要とされていたと云う。

松島遊郭とは?

松島遊廓は、明治初期に近くの川口居留置の繁栄策として営業をスタートさせたが、大阪市中に散在していた非公認の遊女を一箇所に集めるためであったらしい。
当時は西洋風の大阪府庁舎があるなど、近代大阪の中心地としてかなり賑わいを見せ、最盛期には約4000人の女性が働く日本最大の花街・大歓楽街であったとか。
1885年(明治18年)の大火災、外国人居留地の神戸へ移行、また、大阪大空襲によって二度にわたり、松島遊廓は灰燼と帰したが、戦後には西隣に松島新地として誕生。飛田新地と同じく料亭街として存続する、古き大阪の文化を継承する数少ない場所である。

松島遊廓疑獄松島遊廓疑獄

松島遊廓疑獄とは、1926年に明るみに出た戦前日本の汚職事件。当時大阪市西区にあった大阪最大の遊廓、松島遊廓の移転計画を巡り、複数の不動産会社から、与野党政治家3名が、移転を巡る運動費(当時の金額でそれぞれ3〜40万円)を受取ったとされたが、後の裁判では、全員無罪となった。また、現職総理大臣が予審尋問を受けるという、前代未聞の事態は第一次若槻禮次郎内閣総辞職の遠因にもなった。

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